刈羽節成きゅうり①

柏崎の伝統野菜『刈羽節成きゅうり』を見学に。

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刈羽節成きゅうり
柏崎の伝統野菜の代表格。
明治42年。与口虎三郎氏が刈羽節成きゅうりの採種を誕生させたのがきっかけ。特徴としては高温・長日期になっても節成性を失わず、収量も多かった。門外不出の種子を息子さんである重治氏が周囲を説得し、県に働きかけ世に出すこととなった。新潟県は戦前、愛知県と並んで採種機構が極めて確立していた県で数多くの公認の採種組合があったが、その第一号として明治43年に「刈羽節成採種組合」が結成された。この頃はきゅうりの種子が非常に貴重で米の25倍もの値段がついていた。
大正11年には組合員200人余り、採取量50石異以上となり朝鮮、樺太、満州、小笠原、北米まで出荷されていた。種採りの最盛期には橋場地区の中心を流れる鯖石川が金色に染まるほどだったというエピソードも。

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刈羽節成きゅうりの生産地、西中通地区を流れる鯖石川
当時はこの河口がきゅうりの種採りのゴミで黄金色に染まった。




黒イボ、ブルームありの刈羽節成きゅうりは華南系と華北系のいいとこ取りと言われている。
日本のキュウリは、有史以前に渡来した華南系と、明治以後に渡来した華北系に大きく分れ、それにロシア経由で北から入ったピクルス型キュウリとの雑種が入り交じって存在していたそうです。日本古来のキュウリであった華南系は、実の周囲のとげの先端が黒い黒イボ品種が多く、皮は硬く、苦味の出やすいキュウリ。苦味を消すため、付根部分を折ってこすりあわせるとか言った下処理はこのような昔からのキュウリの特性によってできたものと考えられます。

華南系はこの節成り性が強いものが多く、節成り性は日が長く高温になると衰えて雌花が付かなくなってしまうために夏までしかならない春キュウリと呼ばれ、弱点でした。そこで暑さに比較的に強く、高温長日になっても成り続けるように華南系と華北系をかけ合わせることで生まれたのが刈羽節成きゅうりと言われています。




この白い粉がブルーム。
キュウリが自身の水分を保持するために吹くロウ性の物質であり、自然の物質なので体に害は無い。
しかし、当時の農薬反対の風潮と結びつき、昭和60年代に、このブルーム(白い粉)が無いブルームレスキュウリが登場します。これはキュウリの新種でなく、台木カボチャの新種。キュウリが実を守るために出すロウ質の白い粉(ブルーム)を形成できません。実を守るブルームが出せなくなったキュウリは、皮を硬くして実を守ろうとします。皮を硬くするので、収量は減りましたが、皮が硬い分、日持ちするので流通向きであり、現在では市場経由の99%近くがこのブルームレスキュウリとなっております。
ブルームレスキュウリ、F1種の台頭、ハウス栽培の普及、減反…。
それらが重なり昭和40年代までは普通に食されていた刈羽節成きゅうりはいつの間にか姿を消しました。





その後、中越沖地震復興のプロジェクトとして柏崎野菜を探していた矢先の平成19年に農村地区アドバイザーが地区のコミュニティ活動に参加。西中通コミュニティセンターのおける劇上演にて刈羽節成きゅうりのエピソードを知ったのが刈羽節成きゅうり復活のキッカケになります。


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こちらがキッカケとなった『ふしなり座』劇中の復刻版の台本。
復刻版では刈羽節成きゅうりの話がメインに出てきます。





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特に印象的な部分を抜粋。当時の方々の種採りの様子が表現されております。といっても、きゅうりの種採りと言っても種採りをしたことがない方々が殆どなので、紙粘土できゅうりの種採りの模型をつくり、伝えているらしい。


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確かにこれだとわかりやすいし、この模型をみると先述の『鯖石川が種採り後の川に流したきゅうりのゴミで黄金色に染まった』というエピソードがイメージできる。







伝統野菜の特産化への道は大きく分けて3つのパターンがあると思います。



①日常からのスタート型
常日頃から、地域の方々が日常的に食べていた食からのブランド化

②ブランド優先スタート型
日常的に食べられていたわけではないが、珍しいものであるから特産化を仕掛けたブランド化

③文化からのスタート型
食以外の地域文化からのスタート型


全てに長所と短所があり、伝統野菜を伝える上ではこのスタート時のパターンを理解して長所と短所を把握し、それぞれにあった戦略を展開することが大切だ。
刈羽節成きゅうりは③に当てはまり、新潟県の伝統野菜ではこのパターンのスタートは珍しいと言える。
現在、伝統野菜の継承において、最も有効な戦略は文化的価値を再発見することであると私は思う。
そういった意味では、この刈羽節成きゅうりは新潟県の伝統野菜の中でも最も伝統野菜らしい特性をもってると言える。




パート②に続く→刈羽節成きゅうり② - evergreen ~畑に行く新潟の野菜ソムリエ〜



一次産業プロデューサー 山岸拓真
















伝統野菜の久保ナスと新潟のナス文化

新発田市加治地区のそうえん農場に行ってきました。
そうえん農場の代表の下條さんはピンクの越後姫「えちご美人」をつくる唯一の生産者。
今回は新潟県の県北地域で漬けナスとして好まれる伝統野菜の「久保ナス」を見学に。








こちらが「久保ナス」
新発田市久保(旧豊浦町)で昭和初期から栽培されている。新潟市の白根地区の在来種である鉛筆ナスが起源とされ
遡ると宮崎県の佐土原なすの系統と推定されているが、新潟県で選抜され、独自の進化を遂げている。小さい時は漬けナスとして、大きく成長したものは焼きなすとして好まれる。







新潟県はナスの生産面積は1位でありながら出荷量は10位以下とナス王国と知られるナス王国である。それにともない品種の種採りと分化も多く、中越と下越地方を中心に各地で伝統野菜のナスが残っている。
さらに、そのナスの伝統野菜を食べる食文化も地域性が大きく出るのが新潟県のナス文化の特徴と言える。
例えば、長岡野菜の「長岡巾着なす」は蒸しナスとして好まれ、豊栄地区では焼きなすとして「やきなす」が好まれるが、長岡の市場では全く「やきなす」が売れず、長岡では焼きなすとして積極的に食べる方も少ない。


もっと言うと、寧ろ食文化がそのナスの種採りの方向性を作っているさえある。
豊栄のやきなすは、焼きなすとして食べるにはどうしたら美味しいか?という事を追求し、選抜し続けた結果今の形状になった。




長岡巾着なす
長岡巾着なすの小林さん。 - evergreen ~畑に行く新潟の野菜ソムリエ〜




豊栄やきなす
種と栽培技術=財産 - evergreen ~畑に行く新潟の野菜ソムリエ〜





















久保ナスの畑。
下條さんのお話では通常のナスより草本自体の成長が荒々しいとのこと。
もちろん、接ぎ木はしているらしいのですが、葉は横に広がり、大きいのが特徴。




葉っぱ。
これだけ葉が大きいのに、できる茄子の成長自体は遅いというのも面白い。





下條さんちでは漬け茄子の加工品も作っており、これが美味かった。
久保なすは皮と中心部のスポンジ質の部分の食感の違いが大きく、これがまるで皮と中心部の間に空間があるかのような独特の食感を生む。







そして、同じく新潟の伝統野菜である白十全なすとの比較。
左が久保なす。右が白十全なす。着色の紫外線依存度。ヘタの裏の淡さ。外皮の薄さと質感。まるで兄弟であるかのようにそっくり。
大阪の泉州水なすを起源とされる十全村の十全なす。その後、白根の臼井村に渡ったとされるが、この両者のあまりに似てるところを見ると、白根の臼井村に伝来した際に同じく伝統野菜である白根の鉛筆なすと混じったのでは…?と仮説がよぎる。さらに泉州水なすと白十全なすは似てなさ過ぎるし、長岡梨なすとも似ていない。

つまり、

大阪の泉州水なす→五泉の十全村の十全なす→長岡に渡り、梨ナスに。
五泉の十全村の十全なす→白根臼井村に渡り、白根の鉛筆なすと交配→白十全なす
白根の鉛筆なす→久保なすと豊栄やきなす



まあ、年代も何も精査していないあくまでも仮設段階ですが。
この鍵は五泉の十全村で自家採種され続けている十全なす(今でもあるとしたら)の姿形が握る。
こういった伝統野菜の起源と文化を辿る話は、知る者がかなりの高齢となっており情報の整理が急務だ。





一次産業プロデューサー 山岸拓真

柏崎の伝統野菜、緑なす

柏崎の伝統野菜の緑なすを見学に柏崎市の南鯖石地区に。



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柏崎市では、地産地消、地域振興として「柏崎野菜」推進の取組を行っています。
柏崎野菜として現在認定されているのは、地域に昔から伝わり、栽培されてきた 「柏崎伝統野菜」 の6品目と生産されている量が多く、地域の特徴ある 「柏崎地場特産品」 の15品目の合計21品目です。
中でも柏崎伝統野菜の選定条件は
① 柏崎市で古くから栽培され、歴史的背景のあるもの。
② 地域で守り伝えられたものであり、特徴あるもの。
に当てはまるもの。非常に地域の文化と一体となった物が多い。





柏崎市の地図。
山と海に囲まれ、平地の面積が小さく、新潟県の中でも非常に特異的な地形をもった地域。
海岸線沿いの市内中心部は積雪量は少ないが、20kmほど車を走らせれば積雪3Mを超える豪雪地帯になる。
昔から水害や、水不足に悩まされた柏崎は治水への団結から今でも地域のコミュニティセンターが機能しているのが特徴的だ。

山と海に囲まれたこの地域は昔から種採りの地域として知られる。
伝統野菜が受け継がれている地域はある程度の閉鎖感と、独自の文化があるのが特徴だが、この地形を見ると頷ける
新潟県は戦前、愛知県と並んで採種機構が極めて確立していた県で数多くの公認の採種組合があったが、その第一号として採種組合が誕生したのが柏崎の刈羽地域である。

新潟の伝統野菜をとっても、この地域から種が誕生し他地域にいった野菜も多く、有名なとこで言うと長岡野菜の、だるまれんこんがそうである。
長岡野菜大口れんこんの収穫体験 - evergreen ~畑に行く新潟の野菜ソムリエ~
また、黒埼茶豆の3ブランド中でも「みかづき姫」も柏崎の刈羽地域から導入したものだ。






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こちらが南鯖石の緑なす。

一般的なF1種の緑なすよりも小さめなのが特徴。
さらに、面白いことに、この地域では丸型と長型にわかれている。






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こちらが丸型。
どちらも同じ在来種から分化し、部落ごとで各々が種採りをしていたようだが、来歴は不明とのこと。
こういった地域での分化にこそ、もしかしたら部落ごとの食文化の違いが垣間見れる。







生産者の佐藤さん。








そもそも、もともとこの地域では「白なす」という相性で親しまれ、この地域では当たり前のように食べてきたという。かぐらなんばんの山古志地区が、かぐらなんばんが当たり前にあったと思ってたのと同様に、南鯖石の方々も緑色のナスは他の地域でも当たり前に食べられてきたと思っていたらしい。






これが柏崎市中心部を流れる南鯖石川。今回の緑なすが作られている南鯖石地区はこの上流域にあり、柏崎の伝統野菜の殆どが、この鯖石川河川数付近で栽培されている。

というのも、この鯖石川のS字の形状を見ても分かるように、勾配が小さく、当時は大きなダムも無かったために、氾濫に悩まされた。そのため、一番重宝された米は、氾濫の影響を受けにくい地域で栽培され、畑作が流域で行われてきた。
もちろん河川の氾濫により堆積する肥沃な土砂により野菜栽培に適した土壌の恩恵を受けたのは間違いないが、いわゆる「暴れ川」の中で受け継がれてきたのが柏崎の伝統野菜だ。








今回は皮ごと丸ごと上げてみたが、なんとも素晴らしい香り。
肉質の柔らかさ、食感は緑色のなすの特徴だが、まるで枝豆のような風味は何ともいえない。
この手のアントシアニンが少ない野菜はナスのクセがない分、ナスの風味と味が弱くなりがちだが、これはいい意味でバランスがとれている。
さらに、今回は皮ごと頂いたのだが、皮こそこの風味が詰まっているように思える。





まだまだ生産量は乏しく、伝来や、起源を含め謎が多い野菜だが味はしっかりしてるし、どのような調理でも適応しそうだし、万人受けする味なので、これからが楽しみ。
といっても、柏崎市内のドン・◯ホーテで売られているというのにはビックリしたが。。








一次産業プロデューサー 山岸拓真

黒埼茶豆を作る風土、種、文化

茶豆の里、旧黒埼町小平方へ。
実は私事ですが、新潟県黒埼出身なのです。

ザル盛り枝豆と、十全なす、当時弱小であった高校野球をみんなで応援する。
これが新潟の夏の定番で、私も思い出深い。



黒埼茶豆は昭和40年頃に当時の村長が黒埼茶豆と命名。現在ではJA出荷のものは「くろさき茶豆」というブランド名で出荷。さらに平成7年に黒埼茶豆×だだちゃ茶豆の交配による「ぴかり茶豆」、平成10年に刈羽地区より「みかづき姫」を導入し、くろさき茶豆としては3本柱に。実の入りが8割程度で枝豆を収穫。完全に成熟するよりもうまみの主成分である糖とアミノ酸というのを重視しているのが特徴。

この黒埼茶豆の元祖が小平方茶豆。大正10年に山形県鶴岡市しらやま地区より、ツルさんとトヤさんが小平方地区に里帰りした時にしらやまだだちゃを持ち込んだことが始まり。
現在ではその名を知るものも少なくなった小平方茶豆だが、昭和40年頃には新潟市の中心部の市場で他の地区と比較しても2倍~3倍で取引されていたという。

現在流通している黒埼茶豆の多くは種採りのしやすさから北海道で種採りすることが多いらしいが、白井さんは今でも自分で種採りをし、小平方茶豆の血をつないでいる。









こちらが小平方茶豆。
伺ったのが7月の中旬であるために出荷はまだまだ。







小平方茶豆の生産者の白井さん。





先程、黒埼地区に枝豆が持ち込まれたのは大正10年とお話したが、白井さんは向かいの当時97歳になるお婆ちゃんにお聞きしたらしい。というのも、しらやま地区より、だだちゃ豆が持ち込まれた時代が明治から昭和と非常に曖昧だったため。
しらやまだだちゃ豆を里帰りの際に持ち込んだのはツルさんとトヤさんと言われ、ポイントはこのツルさんとトヤさんがいつ里帰りしたのか?ということになる。
そこで第一人者である白井さんは様々な文献を調べ、向かいのお婆ちゃんにツルさん、トヤさんといつ遊んだのか?と確認したところ、前もって自身が文献から調べた情報と、ピッタリ大正10年とハマったことから確信を得たという。


残念ながら、そのお婆ちゃんは数年前に亡くなられたので、もしかしたらこの真実に辿りつけなかった可能性すらある。このように伝統野菜の起源を探る話は、その手がかりを知る方々がかなりの高齢のために、急務となっている。








鶴岡のしらやま地区より持ち込まれた茶豆。まるで偶然のように言われているが必然だったのかもしれない。
というのは黒埼では元々、枝豆をつくる習慣があった。信濃川と中ノ口川の合流地点である大野は船場町であったという。鮮度が大事な枝豆を近くの船場町である消費地にすぐに供給できる。
さらに、畑仕事の合間に素早く栄養を補給できる枝豆は重宝されたという。黒埼茶豆の収獲の特徴である「実入り8分で収獲」はアミノ酸と糖の量が一番多いからという食文化も、もしかしたらそこからきているのかもしれない。

つまり、もともとあった枝豆文化に必然的に当時庄内で一番美味しいという白山地区の枝豆が持ち込まれた。
ツルさんとトヤさんは、この枝豆を持って帰れば… というのがあったのではないか?

ツルさんトヤさんは確信犯だと私は思う。









さて。こちらが旧黒埼町、小平方地区周辺の地図。
赤丸で印をつけたとこが決壊が常時おこる金巻地区。弥彦三山より発生する雨雲は白根、三条地区の信濃川の下流域で急激な水量をもたらす。信濃川と支流である中之口川の合流地点手間で負荷がかかり決壊する。
ここで決壊しようものなら金巻地区辺りに土砂が堆積していきそうだが、黒鳥地区、小平方地区の川下(黄色丸)に沼地があったらしい。黒埼という地名の由来となった「黒鳥兵衛」伝説にも出てくるように、そもそもこの辺り一体は沼地であったという。
行き場を失った土砂は沼地に向かい、黒鳥、小平方地区周辺に堆積していった。

その水の流れを証明する話がある。
実は、黒鳥地区に周りには全くいない苗字の家が1件だけあるという。そして、その方の苗字は決壊地点の近隣に多い苗字だそうだ。つまり、そこから家ごと流されてきたという話。

このように、決壊した水の流れを掴むと、黒埼の中でも小平方と黒鳥地区の枝豆が特に美味しいという理由が見えてくる。





ただ、白井さんのお話では、もちろん土壌も大変だがやはり種の力が一番のこと。
偶然持ち込まれた美味しい種と、もとからあった黒埼の土壌。そして、その枝豆を好んだ新潟の畑作中心の食文化。
それらが全て重なって、黒埼茶豆は全国有数のブランド枝豆となっている。

ツルさんとトヤさん。黒埼の風土と、そしてその枝豆の栽培技術を高めた農家に感謝。



あ。そうそう。

◯黒埼茶豆
✕黒崎茶豆


「黒埼茶豆は土が違うから美味しいのです。」





一次産業プロデューサー 山岸拓真

東京で新潟の伝統野菜について話してきます。

8/3に東京の秋葉原でNPO法人野菜と文化フォーラム主催の野菜の学校が開催されます。
野菜の学校2013→●野菜と文化のフォーラム●







野菜の学校は毎年各県の伝統野菜にスポットを当て、全国の伝統野菜を文化と風土の面から掘り下げる会です。前回の新潟開催は2年前で長岡野菜がテーマだったのですが、今回は私が講師として新潟全土の伝統野菜にスポットをあて、紹介します。


刈羽節成きゅうりをメインに。
かぐらなんばん、長岡巾着なす、梨ナスのおなじみの長岡野菜から、柏崎緑なす、白十全なす、越後白なす。
そして黒埼茶豆。

まだまだ知られていない伝統野菜を新潟の風土と文化、優位性からお話したいと思います。




一次産業プロデューサー 山岸拓真

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